第11話「雨の再会… フォーリング・レイン」
私が初期の「Gガン」に惹かれたのは、先にも書いたように作品全体に漂う「悲壮感」だった。戦闘シーンの音楽にも代表されるように、戦いの中にものすごく辛い悲しみと怒りがにじみ出ているような。涙こそ見せていないけど、泣きながら闘っているような感じ。あとで「拳が泣いている・・」という表現も出てきたけど、まさにそれ。
今回の話数はレインの過去の恋人の話ですが、二つの道があって選択しなければならないときに、ひとつ間違えたために運命が狂った・・というのはよくある話で、その時点では何を選ぶべきなのかというのはわからないものです。あとから思いだして、あの時、こうしていれば・・と思うのが関の山。
レインに裏切られたと思ったセイットはガンダムファイターの道を選び、デビルガンダムと遭遇して、DG細胞を取り込んじゃうわけだけど、彼が意識を失った瞬間に暴れたり、レインを殺そうとしたりするのには、深層意識の奥にレインへの憎しみがあったからに他ならない。彼を4方から縛り付けるようにのびてくるデビルガンダムのコードは、悲しみと怒りに操られるセイットの気持ちを如実に表現したとも言えます。闘うべき人じゃなかったのに、闘うことになってしまった彼の悲劇。
それはドモンの置かれた立場とも、微妙にリンクして、彼の闘う理由だって「愛する人々に裏切られたから」「裏切られたと思っているから」に他ならない。
そんな二人が闘うときに、悲壮な音楽がこれでもかと流れていく。
ラストシーンには太陽の光が射し込んで、ドモンとレインの行方を照らしているけど、セイットは残されたままだし、過去はどうしたって変えることができない。そういう哀しみを内包しているからこそ、私はこの作品を支持したいと思うのです。
■ネオトルコ ■ミナレットガンダム ■セイット・ギュゼル