星の原休憩所

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「フルメタル・パニック!」第10話

第10話「ラン・ランニング・ラン」

一見すると天然なんだけど実は天才少女というテッサ大佐のキャラクターを見ていると、「ガンダムSEED」のラクス・クライン嬢となんとなくかぶさりますね。私だけかな?(^^)

前回も書いたとおり、この作品の魅力は「平和」と「戦争」を同次元で語っているところで、それによって生まれる微妙な感覚のズレが特徴なんでしょうね。

捕虜にした彼が発信器を付けられていた。だからこそ、発信器を壊して彼らは移動するのだけど、移動した先の学校の中で「友達に電話をかけたい」と言い出す千鳥。その内容は「友達にドラマの録画を頼みたいから」という実に平和的なもの。この状況で? と思うけれども、「巻き込まれただけの私が、これでも遠慮してあんたたちにつきあってあげているのよ。こういう状況になれば、自分が一番偉いんだと思いこむ、あんたの悪いクセ、早くなおしなさい!」という彼女の主張を聞いていると、何が正しいのかわからなくなってくる。

軍人と民間人とどちらの主張が正しいのか? 危機的状況に陥ったら、民間人は無条件に軍人に従わなければならないのか? 巻き込まれただけの被害者なのに?

そして、だからこそ宗介は、人質になってしまったテッサ大佐と千鳥を秤にかけ、どちらを優先して助けるかという問題に「民間人だから」という理由で逆の差別をしなかった。全員が助かる確率の一番高い方法として、あえて千鳥を置き去りにした。
危機的状況に陥って、それだけの主張をしたいなら、それ相応の覚悟は持つべきだ。他人に決して頼らず、自分の身は自分で守ること。もちろん千鳥も大佐もそれをわかっているのだ。

そうやって考えていけば、この作品が日本の防衛論にまで踏み込んだテーマを語っているような気がしてくるが、もしかしたら私の気のせいかもしれないのでこれ以上詳しくは私には語れない。うまく踏み込めないのが正直なところ。(^^);

すごく面白くて、深読みしがいのある作品だと言うことだけは、確かでしょうね。続きが楽しみです。