星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

富野喜幸監督 「The IDEON 発動篇 Be INVOKED」

映画23.富野喜幸監督 「The IDEON 発動篇 Be INVOKED」 (日本・1982)

伝説巨神イデオン」は、もともと全43話の予定だったものが、残り4話を残して39話で打ち切られ、絵コンテまでできていた残り4話をメインに劇場版を制作したというのが「発動篇」の作られた経緯なので、「発動篇」は「接触篇」の続きと言うよりは、テレビシリーズの続きだと思った方がいいわけです。

だから、私としては、前から1度、テレビシリーズを全部通しで見た上で、劇場版を見てみたかった。逆に言えば、テレビ版がいきなり最終回になったので、早くこの続きを見たかった。

それで正解。テレビシリーズから続けてみたおかげで、やっと狂っていくシェリルの気持ちに同調できた。リンを失って、ギジェまで失ったシェリルが、思いあまって、パイパールゥをさらって、イデの前に差し出す気持ちが伝わる。テレビ版を見ていないと、このシーンが唐突すぎるんだけれど、つながっているんだと思えば、問題ない。シェリルに感情移入していると、彼女が死んで魂になったときに、ギジェの魂が迎えに来て、連れ去っていくところの感動がひとしおでした。

あと、改めて見たところ、ハルルとカララ姉妹の確執と、憎しみから妹を殺したハルルの気持ちがよく伝わる。「妹は愛する人の子どもを宿すことができたのに、私は、ダラムの遺言さえ手に入れることができなかった」自分が手に入れることができなかったものを、妹が手に入れたら、面白くない。そういう嫉妬の感情を描くのに、女性同士はまさに適役で、この物語が「女たちのいがみ合い」の構図になっているのがよくわかる。

人間はねたみ、ひがんで、相手を憎み、嫌い、争い合う。これが人間の業で、そんな人間たちにイデが見切りをつけて、すべてを滅ぼす気になった。

富野監督は、女性ばっかり悪く描きすぎるんじゃないか? と昔から思っていたけれど、少なくともこの作品ではそれで正解、と言う気がする。

自分の娘たちが、そうやって争っているのを、嫌悪の感情で見ている父親。決して和解することのなかった親子。そういう負のエネルギーが、宇宙に満ちたあげくに、人類絶滅の砲撃ですべてが吹っ飛び、人は魂から再生される。

イデオン」に関しては、もはや、言い尽くされた作品という感じがするし、発表年も古いので過去の作品ではあるのだけれど、伝えられているテーマは、古びていないような気がする。30年が過ぎても、人間がまったく変わらないので・・・。

ネット上にあふれている憎悪と怨嗟の声が、今でも人類全滅への道を誘っているような気がする。