と言うわけで、私は私なりに「火の鳥・太陽編」が単行本化にあたり、内容が訂正された理由を推測してみたい。
他の部分はともかくとして、この場合の問題点は雑誌連載時には「お茶の水博士と猿田が兄弟でいがみあっていた」という設定が描かれていたのに、それが削除されたという事実なのだ。
野口氏は、「アトムというあまりにも知られすぎたキャラクターの影が邪魔になるからこそ、お茶の水博士の登場シーンを全面的に削除したのだろう・・」と推測しているのだけど(「手塚治虫の奇妙な資料」285頁)私は違うと思う。
正確には、それはある意味、正しいのかも知れない。
「太陽編」全体の物語の流れを追った場合に、「お茶の水博士」をあえて出さなくても物語が成立するのは間違いない。
私は単行本で読んだクチだから雑誌連載を正確に知っているわけではないけど、「太陽編」を単独の物語として、いかに見栄えよくまとめるか、という部分を考察していけば、「お茶の水博士」登場のエピソードは確かに「鉄腕アトム」を連想させて「火の鳥」という作品の邪魔になるのは間違いない。
だからこの場合は、その後の物語でアトムを登場させる予定はあるけれども、「太陽編」という独立した作品にはとりあえず必要がないから切った・・と見るべきだろう。
雑誌連載でそれが描かれたとすれば、あるいはそこにファンサービスの意味合いもあったのかも知れない。アトム登場の予感だけをさりげなく含ませるのは、逆に手塚がそのエピソードをよほど描きたがっていたという証拠だろうと思うのだ。
とりあえず、アトム編に予定していたエピソードをそんな風に小出しにして「次はこんな物語を描くつもりなんだよ〜」というのをさりげなく見せたのではないか? それは手塚先生流の遊び心じゃないかと思うのだ。
先にも書いたように手塚治虫は急に思いついたエピソードとして「お茶の水博士」を「火の鳥」に登場させたのではない。それは逆だ。
もうずっと何年も前からその構想はあったはずなのだ。
その資料がメモ書きでもいいから残っていないだろうか・・とファンとしては切望するのだけど、残念ながら手塚先生の頭の中で終わってしまって、先生の死と共に永遠に封印されたのだと思う。
残念です。読みたかったよ〜。