星の原休憩所

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「オーバーマンキングゲイナー」第9話

第9話「奮闘!アデット先生」

最終回における善悪逆転劇というのは、もともと富野監督の得意技だった。味方だと信じていた人が敵になったり、敵だと思っていた人の方が本当は正しかったり・・。この作品でも、富野監督ならそこまでやるんじゃないか? と、つい期待してしまう。この説が正しければ、ゲイナーの最後の敵はゲインになるはずなんだけど。どうかなあ? そんな風に物語は進んでいるのだろうか? 9話しか見ていないので私にはまだ何とも言えないけど・・・。

と、そんなことを書きたくなったのも、シベリア鉄道を止めて食料強奪をすることがそんな簡単に許されていいのか? とやはり思ったから。これって、ゲイナーが何度も言っているように「悪いこと」じゃないのか?

シベ鉄だって、こういった食料を何倍もの料金でピープルに売りつけているんだからお互い様だよ」と言い訳をしていたけど、そんなの強盗側の勝手な言い分だと思うな。
お互い様ならなにをやってもいいのか? 相手がやっているから自分もやっていいのか? 相手がたとえ悪いことをやっていても、自分がそれをまねする必要性がどこにあるんだろう?

エクソダスをするためには、不足する食糧を補わなきゃならない。そのためには他人の食料を奪うことも必要だ。決してきれい事だけでは物事は進まない。
そういった厳しい現実の前に、それでもせめて主人公だけは「本当にそれでいいんですか!」と問いかけなきゃいけなかったんじゃないだろうか?

どうも、なあなあでごまかされちゃった気がするんだけど、あるいはそれこそラストで「おまえだって、生きるために「悪いこと」をいくつもしてきただろうが!!」と言わせるための伏線なんじゃないだろうか? とも考えてみた。

「先生が生徒の食料をとっていいんですか!」という問いかけは、そういったテーマを内包しているような気がしたんだけど、さて、どうだろう?

【補足】
・・というより、制作者側は私の感じたごとぐらい、とうにお見通しなんだろうと思う。だからあえて、これは「悪いこと」だと、物語中で何度も繰り返していたんだろう。
読み返してみたら、自分の文章に酔いしれているようで反省点の多い文章だ。まあ、いつものことだけどね。(−−);