星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「機動戦士ガンダムSEED」第18話

第18話「ペイバック」

気になったのは、作中で描かれている「本気になればできる」けど、「あえてやらない」という姿勢。
ガンダムSEED」に対する批判の多くに、戦争の描き方がいい加減・・というのがあるんだけど、それは一部では正しい指摘かもしれない・・と思う一方で、制作者側はあえてそういう風に描いているんじゃないか? とも思える。戦争物をやりたいんだったら、いくらでもできる実力は持っているんじゃないかと思うんだ。だけど、あえてやらない。
「戦争物」が見たいんだったら、よそのアニメでも見ててくれ・・とでも言いたげな感じがする。戦争ドラマを見たがっている旧ガンダムファンを徹底して追い出そうとしているように。

個人的にはサイの漏らした「バカ野郎・・」というつぶやきが気になった。それは誰にたいしてなのか? フレイに? キラに? 自分自身に?
この危機を乗り越えれば、サイは意外といい男になりそうな気がする。

【補足】
あるいはこの物語は、実に単純な構成なのかもしれない。作り手側が描きたいことと言うのはつまり、

「砂漠の虎」は人殺しを好まないとてもいい人で、今回の戦いでもあえて村人を殺さずに見逃してくれたほど。
だけど、村を焼かれた人々やレジスタンスにはそんなことはわからない。
双方の思いがなかなか伝わらない両者の立場や思いのズレ。すれ違い。

だと思うんだ。素直に物語を追えば、そういうテーマがちゃんと見えてくるはずだし、そのテーマに従ってキラとカガリもラストで対立することになる。

そのテーマが見えてこない、あるいは説得力がない・・としたら、それはやはり脚本が弱いからなんだけど、もともと「戦場ドラマ」が苦手なスタッフが開き直って、子供だましに近い方法で単純なストーリーに練り直して作っている・・と見る方が正解なのかもしれない。(できるのにあえてやらないなんてやっぱり変だから、その方が説得力はあるでしょ? どうかな?)
その上で「ダメだと思うガンダムファンは見てくれなくてもいいよ・・」という諦念ももしかしたらあるのかもしれない・・とも思う。

19話はまだ見ていないので、見たらまた考えが変わるかもしれないけどね。(^^); とりあえず、思いついたので書いておきます。