星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「オーバーマンキングゲイナー」第20話

第20話「カテズで勝てず」

ちょうど今、富野由悠季氏の自伝「だから僕は・・」(角川スニーカー文庫)を読んでいて、富野氏が若き日に思いを寄せていたチョキという女性について書かれている部分にさしかかっていた。
「僕のドラマの中で描くことのできた様々な女性像の切り口は、チョキが与えてくれたものではないかと想像する・・」(p156)

いやあ、見ていてつくづく思ったのは、シンシアという少女もまた、そんな富野氏のかつての失恋経験から生まれてきたのではないかということ。
主人公が多かれ少なかれ好意を寄せている女性に手ひどく裏切られる展開。(そういう意味ではカテジナさんもそうかな?)

この場合は、ゲーム感覚で「遊び相手」としてゲイナーを選んだ形になっているけど、それを恋愛状況として読みとったら、すごく生臭くて残酷なものに見えたから・・。そうならないように、この場合は「少女」として描いたのかもしれない。
(あるいは逆か。そういうテーマを描こうとしたら、自然にこんな少女像が浮かんできたのか?)

「あなただって好きよ。嫌いじゃあない」(p152)
「フィアンセって紹介することを特に許す」(p151)
この自伝に書かれていることが、実際、どこまで本当のことであるかどうかはわからない。でも、そういうセリフを語る女性を相手にかつて恋をし、失恋したというのなら、富野氏の描く女性像がこんなにも残酷なことにある程度の納得がいくような気がしたのだ。

そう思って見ていたから、ゲイナーの最後のセリフ。
「僕は…気がついたら、本気でシンシアを倒そうとしていた」という彼の言葉が、妙に説得力を持って聞こえたのだった。

そういうトラウマが人をクリエイターにするのですね。
失恋は若いうちにたくさんしておけと言うことでしょうか。しみじみ・・。(−−);