星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「機動戦士Zガンダム」第13話

第13話「シャトル発進」

「今の私は、クワトロ・バジーナ大尉だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「大人が子どもを叱らないと世界が壊れる」みたいな話を書いてきたわけだけど、実のところ人間は、年上に叱られるよりも、年下に叱られる方がよほど堪えるものだと思う。
年長者に叱られるのならまだ我慢もできるのだけど、自分よりはるかに年下の子ども、むしろかつての自分のように見える子どもに正論で叱られるというのは、かなり辛いことだと思う。過去の自分に殴られるようなものだから。
(クワトロ大尉は、なんのかんのとカミーユに甘いように見えるし、実はものすごくかわいがっていないか?)

だけど、その拳をあえて受けて、黙ったまま殴られっぱなしになっているクワトロ大尉の気持ちが今ならとてもよくわかります。「これが若さか・・・」とつぶやく言葉の意味も、その時に落とす涙の意味も、改めて見てみるとこんなに厳しいものだったのか・・・と思いました。

「リーダーになれる器があるのに、それをやらないでパイロットの位置に甘んじているシャアは卑怯だ」というカイの手紙。「私には関係のない話だ」と答えているクワトロ大尉の言葉。つまり、カイにもハヤトにもカミーユにも、この人がシャアだとはっきりとわかっているんですね。

だから大人は卑怯だって、カミーユは憤っているわけなんだけど、大人には大人の辛さがある。そこには「有名人であることの重さ」「期待されることの辛さ」まで描かれている。

ちょうど、前半に描かれるアムロの立場もそれに呼応している。彼とシャアは立場こそ違え、「自分にできることを何もしていない」点で五十歩百歩なんだから。

ロベルトの死については、次回への宿題。あと、「今は俺がキャプテンなんだからな」と覚悟を決めているアポリ中尉のかっこよさについても、メモしておくポイントか。そんな人だからこそ、シャトルだけは守らねばと、ガンダムMk2と百式は力を合わせる。

そういえば初めて気づいたけど、ガンダムというのは空を飛べないんですね。飛び跳ねているだけなんだ。「だから宇宙とは違う」というセリフが出てくるのか。なるほど・・・。