星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「ロミオxジュリエット」第24話

第24話「祈り〜きみのいる世界」

・・・なんか、ものすごく納得がいかない。これでいいのか!? と思う。そもそも、前回の話数で、ロミオがジュリエットを助けに行った時点で、「何か変だな?」と思ったんだけれど、この場合、世界を救うためにはジュリエットが犠牲にならなきゃいけないという大前提があるんだから、ジュリエットを救うために、世界を犠牲にしていいのか?? という問題を、ロミオが背負わなきゃならないと思うんだ。

しかし、彼・・・それを完全に無視。君のいない世界なら、滅びてしまえばいい〜!! と言わんばかりに突き進んじゃって、そりゃ、正義の主人公のやることじゃないでしょ?

世界を救おうとしているはずのエスカラスが、すっかり悪者にされちゃって、どう見ても、善悪が逆。これじゃ、ロミオのやっていることの方が変だよ。

この場合のセオリーなら、ジュリエットの決意に殉ずるのが、ロミオの位置だと思う。「君だけを一人で死なせはしない。僕も一緒に行く」「あなたまで来る必要はないわ! あなたはこれからのネオヴェローナを背負っていかなければならない人よ!」「君のいない世界に未練はない。あとのことはみんながやってくれるだろう」みたいな感じで、二人で死を選ぶのが、定石なんじゃないの??

奇跡が起こるとしたら、普通、その後だよ。二人がエスカラスに取り込まれたことによって、愛の力で奇跡が起きて、エスカラスは再生し、木は緑を取り戻して、そうやって海に落ち、新しい大陸になる。二人は木の根元の花畑かなんかで目覚め、エスカラスの「ありがとう」と言う声が風に乗って聞こえる・・・。

主人公たちが一度死ぬことによって、奇跡が起きる。そして、世界が再生される。これが、王道の展開というものじゃないのか? 死と再生って、そう言うものでしょ?

私が思いつくくらいだから、スタッフだって、このぐらいのネタは考えたんじゃないか? なのに、二人で死を選ぶ展開を無理矢理に避けたせいで、物語が変な風にねじ曲がって、ロミオがただの自己中、わがまま野郎に落ちちゃった気がする。

こんなめちゃくちゃな展開にされるくらいだったら、エスカラスの設定はそもそも要らなかったんじゃないのかな〜と思って、かなりがっかりした。全編にわたって、いい内容だと思っていたんだけれど、ラストで失敗したなあ、という感じ。もったいないことしきりです。