星の原休憩所

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「精霊の守り人」第16話

第16話「ただひたすらに」

・・・今頃になって狩人たちが、「あのとき、皇子の遺体を確認しなかった我らが悪かったのだ」と言い始めました。はっきり、私もそう思いますよ。
「あのときは毒霧が出ていたので、どうしようもなかったのだ」と言っているけど、どう見ても、あとからとってつけた言い訳だよね・・・。

シュガが帝や聖導師に説明したところによると、自分が発見した事実として、「建国正史は間違いです」「碑文にそう書いてありました」と、自信たっぷりに言っているんだけど、普通、それを聞いて、みんなが納得しますかね? なんか宮に対する不敬罪で、殺されそうなことを言ってませんか??

原作だと逆に、帝や聖導師は、初代皇帝が水妖を倒して、この地の平和をもたらしたという建国正史が、実は嘘だったということを知っていたし、知っていながら、それは国家機密としてずっと隠していた・・・という設定だったと思います。

それが政治というもので、帝にとって都合の悪いことは、封印されてしまうのだと・・・。だからこそ、水妖の卵を皇族であるチャグムが宿したとわかったら、建国正史の嘘がばれてしまうので、彼は殺されそうになるわけだし・・・。

その設定をアニメ版は妙にごまかしているように感じますね。みんながチャグム皇子を愛していて、助けたいと思っている・・・風に、きれいにまとめたいみたいで。

あと、ここへ来て、改めてバルサたちが旅に出かけ、その足取りを狩人が追う・・・という原作の最初のストーリーに立ち戻ったように見えたんだけど、そもそも最初は橋の下で暮らしていたトーヤたちが、いつの間にか立派な店を構えているのにびっくりした。ここもつっこむべきなんでしょうか?

「お前たちも狙われているかもしれない。危ないからこの橋の下の家ではもう暮らせないよ・・・」という話までしたのに・・・。その設定は、どこへ行ったんだか?

「立派な店だね」みたいなことをタンダに言われて「使っちゃ行けない金だって、バルサ姐さんに言われていたけど、つい使っちゃいました」と、トーヤが言い訳するセリフが入っていて、なんだかなあ、と思いました。

そういう感じで、いろんな部分にシナリオのめちゃくちゃさが見えるんですけど、なんでこんなにいい加減なのか? こういう風に作らなきゃいけないという、何か横やりでも入っているのか? どうにも気になるところです。