星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「小公女セーラ」第5話

第5話「泣き虫ロッティ」

どうしても原作と比較してしまうのだけれど、この場合、原作と同じなのは、「ちび」で「泣き虫」としてみんなにいじめられていたロッティを、「誰だって4つの時にはそうだわ」「でも、いずれ20歳になるのよ」と言い返して、セーラが助けるシーンと、「私はママがいないんだもん」と言っているロッティを、「私にもいないわ」「私がロッティのママになってあげる」と慰めたシーンだな。

それ以外の部分。ロッティが学院から飛び出して、セーラが馬車で探しに行ったり、泣いている彼女をなだめることが出来なくて、先生二人がおたおたする部分は、アニメオリジナル。

どういうシーンを付け加えて、1話分の尺にしたかは見えるんだけれど、でも、やっぱりアニメオリジナルの部分が上手いとはあんまり思えない。

馬車を持っているからという理由で、学院の生徒に「特別に探しに行く許可を与える」というのも学院の規律としてどうかな〜と思うし、4歳の子供が泣き続けているのにろくな対処も出来ない大人達というのは、寄宿学校をあずかっている人たちのやることに見えない。その辺のリアリティの部分は、「ハイジ」や「三千里」の描き方に比べると、非常にお粗末に見える。

高畑監督と比べちゃダメなのかな〜という気もするんだけれど、「ハイジ」におけるロッテンマイヤーさんの描き方が上手かったというのは、やっぱ、事実だと思うよ。ロッテンマイヤーさんは、子供に対して厳しかったが、言っていることは確かだった。それに比べるとミンチン先生は、やっていることも言っていることもいちいちめちゃくちゃだ。そういう違いはあると思う。