星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「アオイホノオ」第17巻 島本和彦

コミック16.「アオイホノオ」第17巻 島本和彦 小学館少年サンデーコミックススペシャ

「風の戦士ダン」の誕生秘話。そもそも、この作品の原作者が雁屋哲という段階で違和感があって、よく雁屋先生が、こんなギャグ漫画の原作を書けたなあ? などと思っていたけど、もともとの原作の原稿がどういうものだったのかを具体的に見せられて、納得した。

この原稿のイメージこそ、たしかに雁屋哲という感じがする。上の世代って、時代劇とか時代小説とか好きだもんね。

私も「風の戦士ダン」は、たまに雑誌連載を見たぐらいで、コミックスを買ったことはないし、どんな話か具体的には知らない。ただ、現代を舞台にした忍者ものだなあ。程度の認識だったけど、実は、背景にはこんなちゃんとした歴史設定があったのか。これはこれで面白そうだし、読んでみたいという感じもする。

あと、おまけのようだが、「ガンダムといえば、スーパー忍者!!」というギャグ部分で、ザクもどきの一つ目の忍者たちが、地球を背景に宇宙を飛んでいるのを見て、このイメージ画がすごくいいなあ。と思った。なんかいろいろ、それっぽいよね。

【追記】

私が知っている雁屋哲原作の漫画は、「男大空」を「少年サンデー」連載で途中から途中まで読んでいた程度です。有名な代表作「美味しんぼ」は未読。アニメ版もほとんど見てません。

 

「月影ベイベ」第9巻 小玉ユキ

コミック15.「月影ベイベ」第9巻 小玉ユキ 小学館フラワーコミックスアルファ

物語自体は、非常にきれいに終わって、満足したんだけれど。

どうにも最初から気になっていることがあって、書いてみる。

この作品で使われている「だら」という方言。私の地元・福井では、「だら」というのは、「怠け者」「ものぐさ」という意味で使われる。「バカ」だの「アホ」だの言う言葉とは、そもそも意味が違う。

「だらしたらあかんざ」とか「だらせんときねや」という言い方で、怠けていることを戒めたり、注意したりする形でよく使う。

富山でも同じだと思うんだけれど、この作品では、あきらかに「バカ」と同意語で使っていて、「バカ」と言うべきところに「だら」を入れているようにみえる。

「だらなこと言うなや」という台詞はあるかもしれないが、それは「馬鹿なことを言うな」という意味ではなく、「怠けたことを言うな」という意味であるべきなのだ。

作者は、長崎の人なので、北陸の方言を知らなくても仕方ないし、その代わりに富山弁の監修の人がちゃんと入っているんだから、その点はチェックされてしかるべきだろうと思うんだけど、それとも、福井と富山だと意味が違うのか、あるいは若い人がチェックしていて、方言のもともとの意味を知らないのか? という感じもする。

念のため、実家の母親と福井の友達に電話して、確認してみたけど、ふたりとも「だら」は、「怠け者」という意味で使っていると答えた。「だらだらする」の「だら」。「だらしない」の「だら」なのだ。

この作品では、必要以上に「だら」という言葉を多用していて、北陸出身者としては、違和感がバリバリなのだ。最終巻でも、なんだか肝心なところでキャラクターに「だら」と言わせているので、なんだかなあ。という感じがする。

もう今更だけれど、気になったことは、一応、メモ代わりに書いておく。

ビル・コンドン監督 「美女と野獣」

映画21.ビル・コンドン監督 「美女と野獣」 (アメリカ・2017)

字幕版を視聴。昔のディズニーのアニメ版もかなり前に見たはずだけれど、内容はほとんど覚えてませんでした。

だから、どこまで今回の実写版がアニメ版に忠実なのかがわからないんだけど・・・。

アニメ版を実写化したというよりは、ミュージカル版を映画にしたような感じで、映画というよりも演劇風味でしたね。冒頭からみんなで歌うシーンが入るし、ダンスシーンのあと、全員がピタリと動きを止める演出とか、どちらかと言えばやっぱり劇ですよ。アニメ版にそんなシーンが入るのかどうかが覚えてないし、機会があれば、アニメ版も見直してみたいところ。

映像としては、非常に美しくて、素晴らしかったんだけれど、どうにも物語的に何かが引っかかって、もやもやしてます。

私は多分、最初に振られ役として登場したガストンに、必要以上にうっかり感情移入してしまったからじゃないかと。ベルが「あんな人、いや」みたいなことを言うんだけど、「なんで??」と思っちゃって、「人は彼女を変わりものだと言うが、そこがいいんじゃないか」と言って、彼女の存在価値を認めているガストンって、実はいい人なんじゃないの? と、思っちゃったんですよ。

そもそも、ガストンとベルの関係がよくわからないし、ガストンみたいながさつな男は嫌だと言っているベルが、野獣の方ならいいと選んだのは、やっぱり王子様だからなのか? という風に見えるし、男は顔じゃなくて、身分ですか?? と、どうしても思っちゃうじゃないですか。

ガストンを悪役に見せるために、そのあといろんな演出が入るけど、そもそも、この人が落ちていったのは、ベルが彼を振ったからじゃないか? という気もするし、自分を振った女が、他の男とイチャイチャしていれば、やっぱり腹立つよな~という見方をしてしまったので、どうにも物語が素直に楽しめなくて困りました。

逆に、野獣がベルを気に入ったのは、性格というよりも、やっぱり美人だから。だし、自分たちの呪いを解いてほしいという打算まで入っている。

美女と野獣が結ばれたのは、お互いの利害が一致したからで、彼女は王子様と結婚したかった。彼は呪いを解いてほしかった。美人なら、なお、よし。

一人で馬鹿を見たのは、ガストンのみ。で、彼がなんだか、気の毒で、これって、素直にいい話だとはとても思えないよね。と思ってしまったのでした。

家具にされていた召使いたちは、みんな良かったです。アニメと融合しても違和感のないところがすごい。最近の実写映画は、非常に良くできていて、その点は、素直に感心してます。

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第9話

第9話「盃」

家族というのは、何も血縁のつながりだけを指すわけでもなく。一緒に同じ家で暮らすグループを指すんだと思えばいいかな。そういう意味では、鉄華団は家族だし、広い意味で、あの親父さんが広げているテイワズというグループもグループ全体が大きな家族なんだろう。

だから、親父のもとで、義兄弟の契りを交わす儀式が必要なんだと、そういうふうに解釈してみた。

この場合は、鉄華団で親父に該当するのはオルガだし、家長として、家族全体に対しての責任を負う。そうやって、みんなの行く道を定め、指示を出して、全員に対して気を配るとしたら、お父さんは大変だな~。と思うよ。酒に酔いつぶれているオルガが可愛い。

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第8話

第8話「寄り添うかたち」

自分の船をまるごと自分の家にしちゃっている名瀬さんは、やっぱり、自身も孤児だったのではないか? という感じはする。だから、子どもたちを大切にするし、鉄華団に対しても、その鉄華団をまとめるオルガに対しても、責任者としての理解があるんじゃないかと、そんなふうに見えるね。

鉄華団の子どもたちもそれは同じで、「家族」という言葉に弱いんじゃないかと、「家族の絆」に対してのあこがれを感じる。

仲良くなれて、良かったと思うし、この調子で木星との渡りをつけられたのなら、今のところは順調だ。この先に何が待っているかは知らないけど、その分だけ楽しみにしたいと思ってます。

 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第7話

第7話「いさなとり」

女ばかり大量に連れ込んでいる木星の兄ちゃんが、登場。こうも、女性兵士ばかりが強調されて描かれるのを見ると、なんとなく、「Vガンダム」でシュラク隊のお姉さま方が登場したときのことを思い出す。

ただ、この人が、木星へのつてになるんだろうな、とはわかったので、どうなることかと思って、物語を見守ったし、戦闘になっちゃったから、どうするんだろうと思ったけど、結局のところ、少年たちのあがきは、無駄ではなかったわけだし、話のわかるお兄さんでよかったじゃないですか。

宇宙ネズミや阿頼耶識システムという単語に反応したということは、たぶん、この人も底辺層の出身で、自分自身も苦労しながらのし上がったか、あるいは、そういう人を知っているということだろう。阿頼耶識システムの痛みを自ら体験しているから、少年たちの味方になってくれたのだろうかと、そういうふうに推測はできるね。

なんだか、殴り合った挙句、「お前、なかなかやるじゃないか」「お前もな」的な解決を見たようで、めでたいといえばそうだ。

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第6話

第6話「彼等について」

地球が4つの経済圏に分かれていることと、火星にいる貧困層を救うために独立運動があるんだという説明が入った。なるほど。そのために、クーデリアは、地球に向かいたいし、文字の読み書きもできない子どもたちが、生きるために働かなきゃならない貧しさの解説にもなっている。

このまままっすぐに地球に向かうのかと思いきや、木星に向かうと言い出したのでちょっとびっくりした。確かにつてもないのに無茶じゃないか? という気もするんだけれど、「あいつが見ているから、やるんだ」などと言い出したオルガの言い訳は、かなり無理があると思って、大丈夫なのかと心配になる。

あと、クーデリアの秘書(?)のお姉さんは、どう見ても、お嬢様の監視役というか、状況の報告係のような感じがするんだけれど、そんな人に通信担当を任せていいものなのか、オルガも意外と隙だらけなんじゃないかと。それとも、それも作戦のうちなのか? そうだったら、すごいんだけれど、そうでなければ、彼も所詮は子供の一人にすぎず、計算が甘すぎるんだとか、そういうふうに解釈するしかないんだろうね。