星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「精霊の守り人」第9話

第9話「渇きのシュガ」

やっぱり、どう考えても、バルサとチャグムが水車小屋でのんびり暮らしている部分に違和感がある。いくら死んだと思われているからって、あまりにも脳天気すぎやしないか? せめて、水妖の問題がきちんと片付くまでは、ちゃんと隠れるべきと言うか、別の国に行くとかなんとかして、身を潜めなさいよ。ましてや村の子供と遊んで、チャグムの正体がばれたらどうするんだ?

そう言う部分、どうしたって変だと思う。一方で、「渇きの相が消えていない」ことに気づいて尚、「皇子は死んだ」と思いこんでいるシュガの方も、無理があるなあ、という感じがする。普通、気づくだろう? 遺体をちゃんと確認したわけでもないのにさ。

少なくとも、水車小屋での生活や兄皇子がチャグムの遺品を集めて保管していたという展開は、完全にアニメオリジナルです。大体、原作では、シュガはずっと地下にある碑文を解読し続けていましたから、「皇子が死んだから、やめていいよ」なんて、言われてません。(そもそも、皇子が死んだと勘違いする展開もありません)

そうでなきゃ、あれだけの碑文を解読できるわけがないでしょ?(さすがにアニメの表現はちょっと大げさだとは思ったけど)

来年の夏至の日に卵が孵るんだってわかりきっているのに、なんでこの人たちは、こんなにものんびりしているんだろう?? と思って、呆れるんです。
(そう言えば、9話まで来て、まだ夏至の日の設定が出てきていないのか?)

原作の方には、もっと焦りがあったよ。読んでいて、もう時間がないのに!! まだ助かる方法がわからない!! という感じで、みんな必死で、それを探ろうといろいろあちこちへ行って、苦心惨憺していたんですけど・・・。

そう言う緊張感がアニメからは全然感じられなくて、ただ、間延びしているだけ。これじゃ、やっぱり面白くはならないよなあ、と思う。ただただ、残念です。