星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「Kanon」佐祐理シナリオ

初めて描かれる佐祐理さんの辛い過去。
舞シナリオの途中で印象に残っていたセリフがあって、「きっと佐祐理さんは幸せな家庭で育ったんだろうな」と祐一が言うの。
いつも笑顔の佐祐理さんを見ていれば、誰だってそう思うだろうけど、他人の過去なんて、本当はそう簡単にわかるものじゃないのだ。幸せそうに見える人が、実はそうじゃなかったりする。
「この世には幸せな人なんて一人もいない」というのが、手塚治虫の「ブッダ」の中のセリフ。それは、たぶん、正しいのだと思う。

「私は・・・そうしたかった」とずっと繰り返し、繰り返し、過去形で語られる物語。
「そうしたかったのに・・・しなかった」というそれは後悔の物語。そして、懺悔の物語。
そうしてさえいれば、幸せになれたかもしれないのに、そうしなかったという話。そんな後悔は、誰の胸にも何かしら在るのではないだろうか?
だから、佐祐理さんの話が辛い。

彼女は、他人に(父親に)言われたことを正しいことと信じて、行動した。そうしていれば、「いい子」として認めてもらえたから。実際、その方が楽なのだ。言われたとおりにしてさえいれば・・。

だけど、そうしたくない自分も存在して、相手が(父親が)間違っているんじゃないかと思い続けて、だけど、行動に移せずにいて、そのまま最悪の結果を迎えた。
ただ、一度だけ、父親に逆らい「悪い子」になってみて、初めて自分が一番したかったことを知る。そのときにはもう遅すぎたのだけど・・・。

そうしていればよかったのだ。
あくまで自分の判断で、自分の意志で行動して、自分が正しいと思ったことをやる。それをやらずにいたから、「後悔」だけが強く残る。

これはそういう話だ。
二度と後悔しないために、どうすればいいか。それを示してくれるのが、佐祐理さんの物語。

「相手に幸せを与えて、みんな一緒に幸せになる」
その言葉で思い出したのが、名作「アルジャーノンに花束を」の最後のセリフだろう。「相手を笑わせてさえいれば、友達はたくさん出来ます。僕はこれから行くところで、いっぱい友達を作るつもりです」byチャーリィ・ゴードン。