星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

「AIR」第12話

第12話「そら〜air〜」

人は、死んでしまうのだ・・・。

少し前の感想に、人間いつ死ぬかわからないから、自分が一番やりたいと思うことをやっておくべきという話を書いたけど、自分が死ぬのならまだいい。
この場合の物語が描くのは、すぐそばに当たり前のようにいた人が、家族が、突然いなくなってしまうかも知れないという可能性だ。

観鈴の死は、「努力はそう簡単には報われない」という事実をこちらに突きつけるけれども、それも厳しい現実の中では、ごく当たり前のことで、当たり前だからこそ、みんな努力することすらあきらめてしまっているのが今の世の中でしょう。この作品は、それに対する問題提議だと思う。

本当にあきらめてしまって、それでいいのか? あきらめてしまって、何もしなかったら、それこそ手遅れになるよ・・・という話です。ギリギリのところで、観鈴と母子になれた晴子さんはむしろ幸せだと思う。関係性が希薄のまま、冷たい関係のままで死に別れることになったら、それはもっと辛いだろう。「あのとき、こうしていれば・・・」という後悔を抱えて生きていくことになっただろう。でも、晴子さんが最後に笑顔なのは、彼女はギリギリで間に合ったから。出来る限りのことを最後にやって観鈴を本当の意味で抱きしめることが出来たから。

最後に、彼女がプレイヤーに向かって語りかけるのは、「貴方にも行くところがあるでしょう?」という問いかけだ。

「このそらのどこかに、傷ついた心を抱えて、泣いている少女がいる」だから、彼は飛び立つ。「僕は彼女を探しに行かなければならない」と。

現実は限りなく厳しいけど、あきらめて、ほどほどのつきあいの人間関係に甘んじていては、手遅れになることもある。

どうか、最後は幸せな記憶を・・・。

それは祈りにも似た言葉だけれど、最後に後悔するような悲しい記憶を持ちたくないなら、今すぐに行動に移すべきだ・・・・。今なら、まだ間に合うかも知れないから。これはそういう物語なんだと思う。

観鈴ちん、強い子。V!」という言葉に秘められた想い。彼女の健気さは、見習うべきものなんだろう。その強さを・・・。

<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000069E08/seiseikai-22/ref=nosim" target="_blank" class="ausgangsoft"><img src="http://rcm-images.amazon.com/images/P/B000069E08.09.MZZZZZZZ.jpg" border="0" width="104" height="150"></a>