星の原休憩所

映画、アニメ、読書など、趣味の感想記録です。

コラム4 女の子のキモチ・・・。(その1)

先日、劇場版「AIR」を見た折に気づいたのだが、主人公である観鈴ちんの性格が原作とは大きく変わっていて、通りすがりの旅人である男にすがりつくようにまとわりつき、SEXをねだる姿が印象に残った。最近の女の子は性にだらしがないという描かれ方をしていたのだが、その描写がどうにも「藍より青し」の葵ちゃんに似ているようで、気になったのだ。あるいは、葵ちゃんの方からインスパイヤされて、監督は観鈴の性格をあえて変えたのだろうか??

だけど、観鈴と葵の場合、決定的な違いが一つある。つまり、葵ちゃんは、最初から最後まで薫さま一筋の女の子なのだ。初恋の彼をずっと思い続け、他の男に操を捧げるのが嫌で、家出までして彼の元に飛び込んできた女の子だ。

一方で、劇場版「AIR」の観鈴は違う。どう譲っても彼女の場合、自分の命に先がないことを知ったので、死ぬ前にSEXだけはしてみたいと通りすがりの男を誘い(観鈴と往人の交流が少ないために誰でもよかったように見えてしまう)、やることだけやって満足して大往生した風にしか見えない。おかげで、そんなことをされるだけされて、その女性に目の前で死なれちゃった往人の方は、一生残るトラウマを抱えて、電車に乗って逃げるように町を去っていくという落ちである。どう見ても、あんまりだ。(−−);

念のため、そんなとんでもない展開をするのは劇場版だけで、原作の観鈴はそんな女の子ではない。原作の場合の観鈴は、肉体としての男が欲しかったのではなく、ただ単に一緒に遊んでくれる友達が欲しかっただけなのだ。女の子の友達では相手にしてもらえなかったので、男の人なら話を聞いてくれるかも知れないと声をかけただけなのだ。自宅に誘ってはいるが、彼女が望んだのはSEXではなく、あくまでトランプ遊びだった。

この点を間違えて欲しくないと強く思う。女の子の求める愛は、肉体よりも先に精神的な愛だし、彼女たちが望むのはたった一人の男の愛情である。
男なら誰でもいいから体が欲しいなどと考える女性は、ほとんどいないと言いきっていいのではないだろうか? その点が、男性の心理と女性の心理の違いだと思う。

長くなってしまうので、葵ちゃんの話は先に続きます。(次回へ)